序文
当事務所では、所属弁護士が関心を有するテーマについて、調査分析したものをコラムとして掲載していくことにしました。新ホームページでの第一弾は、「登山ガイドの注意義務にまつわる法的諸問題」です。
第1 はじめに(問題の所在)
筆者は、登山を趣味として継続的に行っており、ガイド付き登山と個人登山の双方を経験してきた。その中で、ガイドの判断や指示が登山の安全性や参加者の安心感に与える影響の大きさを実感すると同時に、自然のリスクを完全に排除することは不可能であるという登山特有の現実も強く認識するに至った。
登山は自然環境の下で行われる活動であり、天候の急変や地形の危険性など、一定の危険を内包している。そのため、登山事故が発生した場合には、しばしば「自己責任原則」が強調される。しかし、近年では、登山ガイドが同行する商業的・組織的な登山ツアーが広く行われており、参加者が専門的判断をガイドに委ねる場面も少なくない。このような場合において、事故が発生したとき、登山ガイドが注意義務を負うか否か、またその判断はいかなる要素に基づいてなされるべきかが問題となる。
本稿では、登山ガイドの法的責任を検討する前提として、注意義務の有無を判断する際に考慮される要素を整理し、判例を素材としてその判断枠組みを明らかにする。その上で、近時の登山ツアーの実態や文献の議論を踏まえ、「参加者とガイドの信頼形成過程」を新たな考慮要素として位置づけることの妥当性を検討する。
第2 登山ガイドの注意義務の内容と水準
登山ガイドと参加者との関係は、一般に報酬を対価として、法律行為でない役務を提供する契約であり、民法上は準委任契約(民法656条)であると考えられる。準委任契約において受任者は、善良な管理者の注意義務を負う(同法644条)。
登山ガイドは、専門的知識と経験を有する存在であるため、その注意義務の水準は、一般登山者よりも高く設定される。熊本地裁平成24年7月20日判タ1385号189頁は、登山ガイドは参加者の生命身体に危険が生じないような適切な準備や指示、処置をする注意義務を負い、その程度は、プロの登山ガイドとして高度なものが要求されると判断した。
第3 注意義務の有無を判断するための考慮要素
1 危険の予見可能性
過失の有無は、予見可能性がある場合には予見義務が認められ、予見可能性を前提としたうえで、結果回避可能性まで含めて判断される(最判昭和36年2月16日判タ115号76頁)。もっとも、自然環境下の登山においては、すべての危険を回避することは不可能であり、ガイドが責任を負うのは、予見可能であった危険を看過した場合に限られる。
2 ガイドの専門性・資格・経験
資格の有無、当該山域でのガイド経験、過去の実績などは、注意義務の有無および範囲を判断する重要な要素となる。
専門性が高く、経験や実績が豊富なほど、危険を予見し回避すべき義務は重くなり、結果として注意義務の成立が認められやすくなる。横浜地裁平成3年1月21日判タ768号192頁は、登山ではなくロッククライミングに関する裁判例であるものの、ロッククライミング練習中の初心者である原告の転落事故について、被告の登山経験が豊かであることを理由に、被告に対し高度な注意義務を認めた。
3 参加者の属性・能力
参加者が初心者であるか、ある程度の登山経験を有しているかによって、ガイドに求められる注意義務の程度は異なる。初心者や高齢者が含まれる場合には、より慎重なルート選択や中止判断が要求される。先の横浜地裁平成3年判決においても、原告が初心者であることも考慮したうえで、被告であるガイドに対し高度な注意義務を認めている。
この点は、自己責任原則との関係でも重要であり、参加者の能力が低いほど、ガイドに判断を委ねた範囲は広いと評価されやすいと考えられる。もっとも、共倒れになるような危険がある場合には、被告の注意義務が軽減される場合もある。
また、参加者が技術・技能レベルに応じた用具・服装、整備をしているかという点も考慮要素の一つである。
4 情報格差と説明義務
ガイドと参加者との間には、通常、登山に関する情報や判断能力に大きな格差が存在する。この情報格差が大きい場合には、ガイドには単なる同行義務にとどまらず、危険性を説明する義務や判断を示す義務が認められる可能性が高いと考える。たとえば、道に迷った場合、迷う前の地点まで引き返すことをしたか、登山道の変化により、アイゼンを付けるなど、適切に対処できたか悪天候の場合、停滞して天候の回復を待つべきであったか等、地形や天候等の情報を、状況に応じて適切に考慮したうえで判断をし、それを参加者に説明する義務があるといえる。
5 行程計画の合理性
登山計画の具体性や合理性も、注意義務の判断において重要な要素である。無理な行程や、撤退基準が不明確な計画は、事故発生時にガイドの注意義務違反を基礎づける事情となり得ると考える。たとえば、メンバーにふさわしい目的の山とコース及び登山日程を決めていたか、異常を前提とした計画を立てているか、非常自体に備えての下山コースはあるか、メンバーの人数は適性か、自然環境や天候の変化に対応できる計画を立てたか等が考慮される。長野地裁松本支部平成7年11月21日判時1585号78頁は、「地形、積雪量等の条件により雪崩発生の危険性が否定し難い場合、前記訓練方法は、雪面に強い刺激を与えて雪崩を誘引する危険性を有するのであるから、これを行うべきでない」と述べ、地形や条件に合った行程を実施するべきであるとの判断をしている。
6 環境的な要素
天候・視界等の自然状況に合わせて登山は実施されなければならない。通常予測し得ない急激な悪天候への変化や、突発的に生じる雪崩などは、登山ガイドにおいても予測することが困難な場合には、過失は認められにくいといえる。
第4 登山ツアー型の特徴
1 登山ツアー等の営利型に求められる注意義務の程度
登山ツアーなどの営利型は最も高い注意義務が認められるべきである。登山ツアーは、一定の料金を徴収して行う営利目的登山であり、ガイドなどある程度の技術を持った者がリーダーとなることが前提となり、参加者はその技術等の能力を信頼して参加しているものである。参加者のレベルもそれぞれ異なり、その点からも注意義務の程度は高いと言える。
2 登山ツアーの契約内容
登山ツアーの参加者は、一般的に成年であることが多いが、参加者は、プロの登山ガイドの技術・能力を信頼して参加し、契約内容として参加者が安全に下山して登山旅行が無事に終了することまで含まれているといえる。
第5 裁判例分析
1 静岡地裁昭和58年12月9日判タ513号187頁
(1)事案の概要
本件は、登山中の滑落により死亡したAの父親であるXが、主催者である団体、リーダー、会長、及び事務局長を被告として、損害賠償を請求し、裁判所が会長を除く被告に対する請求を認めた事案である。
(2)裁判所の判断
裁判所は、協会は、参加者の技術や能力にふさわしい企画をすべきであり、参加者には十分な準備をさせるべきであったのにそれをしなかったこと、リーダーは、慎重に登山を実施すべきであったにもかかわらず、登山を強行したこと、危険個所を通過する際には参加者の動静に十分注視すべきであったのにこれを怠ったこと等から、Aを死亡に至らしめたとして、請求を認容した。
(3)判例の意義
本判決は、催行会社による厳密なツアーではないものの、参加者31人という団体性、及びある程度の営利性を有すると推測されており、ツアー型の考慮要素を検討するうえで参考となる。また、ツアーにおける注意義務の有無を判断するにあたり、危険の予見可能性、ガイドの専門性、参加者の属性という複数の要素を総合的に考慮している点に意義がある。
特に、本件の登山は、広く参加者を公募して実施されたものであり、参加者の能力、技術レベルがそれぞれ異なることを踏まえ、より高い注意義務が要求されることを肯定した点が重要である。本判決は昭和58年と古いものであるが、2025年7、8月の遭難件数は過去最多の808件、遭難者は917人にのぼることから(警察庁生活安全局生活安全企画課「令和7年夏期における山岳遭難の概況」)、今後も本判決に類する登山事故が繰り返される可能性は高いといえ、参考とされるべきである。
2 仙台地裁平成27年3月17日(辻次郎「法律家のための登山・スキー事故Q&A」63頁参照)
(1)事案の概要
本件のツアーは、国際山岳ガイド連盟に加盟する公益社団法人日本山岳ガイド協会の認定する国際山岳ガイドの資格を有する被告が、21日間の日程で、アコンカグア(標高6960メートル)の登頂を目的として催行したツアーである。参加者である原告は30年以上の登山経験があり、海外登山経験も豊富であった。本件ツアー中、原告を除く他の登山隊の参加者全員予備現地ガイドが悪天候のために途中で下山したにも関わらず、被告は無理に登頂し、下山中、原告を壊れて屋根もない避難小屋に置き去りに資、その際、防寒具等の入ったザックを置いていくこともしなかったために、翌日救助された際には、原告の手指は凍傷により壊死しており、その後両手の前指を喪失することとなったとして、原告が被告に対し、損害賠償を請求した。
(2)裁判所の判断
裁判所は、まず、被告の判断の合理性・適切性について、本件事故の前日までに収集可能な情報を入手し、他の登山隊のガイド等と相談し、出発後に天候が悪化した場合には途中で登山を中止して下山することができることからすれば、被告の登頂の判断は、プロの登山ガイドの判断として不合理または不適切であったということはできないと判断した。また、被告の注意義務について、原告はペースが落ちることはあったものの、自ら登頂を中止して下山したいと思ったことはなく、体調面で問題を感じたことはなかったこと、登頂するまでの間に、下山時の天候の急変を予測すべき状況になかったことからすれば、登頂を中止し、原告を下山させる判断をしなかったことが、注意義務に違反するとは認められないと主張した。
(3)判例の意義
本判決は、海外の登山事故について初めて判断をした判決である。原告の手指喪失の原因は主に原告にあるとの判断が前提にあるものと考えられる。本判決が示す重要な点は、当日のガイドの判断のみならず、ガイドの事前の情報収集の在り方や、コースにおいて緊急時の下山が容易であるか否か、参加者の能力が高い場合における、参加者の判断の合理性等などが考慮されている点である。
第6 登山ツアー型の特徴と判例分析を踏まえた考慮要素の再検討
1 登山ツアーの判例分析
これらの裁判例は、一見すると、ガイド個人の当日の判断の合理性や適切性を中心に、注意義務違反の有無を判断しているようにも見える。
しかし、2つの判決を詳細に検討すると、裁判所は、単に事故発生時点の判断のみならず、事前のツアー設計の在り方、参加者の能力・経験に関する把握の程度、危険に関する説
明の十分性、さらには参加者がガイドの判断にどの程度依拠して行動していたかといった事情をも総合的に考慮していることが読み取れる。
すなわち、裁判所は、ガイドの判断の適否を評価する前提として、参加者がどのような経緯でガイドの専門性を信頼し、自己の安全判断を委ねるに至ったかという関係性の形成過程を、事実上考慮していると評価することができる。
2 新たな考慮要素
以上の判例分析を踏まえると、登山ガイドの注意義務の有無を判断するにあたっては、従来指摘されてきた個別的要素に加え、参加者とガイドとの間に、いかなる信頼関係が形成されていたか、その過程および内容を独立した考慮要素として位置づけることが妥当であると考える。ここでいう「信頼形成過程」とは、単に参加者がガイドを信頼していたという主観的状態にとどまらず、(ⅰ)登山ツアーの募集形態(公募か否か、営利性の有無)、(ⅱ)広告や募集要項における安全性や専門性の強調の程度、(ⅲ)ガイドの資格・肩書・経験の表示方法、(ⅳ)参加者に対する事前説明や危険告知の内容、(ⅴ)参加者の判断が、ガイドの指示や判断にどの程度拘束されていたか、といった客観的事情を通じて、参加者が自己の判断をガイドに委ねるに至った関係性の形成過程をいう。
3 信頼形成過程と注意義務判断との関係
参加者が、ガイドの専門性や判断に強く依拠するに至った場合には、自己責任原則が及ぶ範囲は相対的に狭まり、ガイドにおいて危険を予見・回避すべき注意義務の範囲は拡張されると解するのが相当である。とりわけ、登山ツアーのように、営利目的で組織的に参加者を募集し、プロの登山ガイドが同行する形態においては、参加者がガイドの判断に従うことが合理的であるとの信頼が形成されやすく、その結果、ガイドの判断が参加者の行動を実質的に拘束する場面が多く生じる。
静岡地裁昭和58年12月9日判決においても、広く参加者を公募し、多人数による登山が実施されていたという事情を踏まえ、参加者の技術水準が一様でないことを前提に、リーダーらに高度な注意義務を課しているが、これは参加者が自己の安全判断をリーダーに委ねることが合理的な状況にあったことを前提とした判断であると評価できる。
他方、仙台地裁平成27年3月17日判決においては、原告が長年の登山経験を有し、海外高所登山の経験も豊富であったことが重視され、ガイドの判断への依拠の程度が相対的に低かったことが、注意義務違反を否定する方向で考慮されている。この点からも、参加者とガイドとの信頼関係の内容および形成過程が、注意義務判断において重要な意味を有していることが確認できる。
第7 おわりに
以上の検討から、登山ガイドの注意義務の有無は、① 危険の予見可能性、② ガイドの専門性、③ 参加者の属性、④ 情報格差、⑤ 行程計画の合理性、⑥環境的な要素に加え、⑦参加者とガイドとの信頼形成過程の内容および程度、を総合的に考慮して判断されるべきである。
特に、現代においては、登山ツアーが営利的・組織的に反復して実施され、参加者がプロの登山ガイドの判断に依拠して行動する場面が増加している。そのような状況において、登山事故の責任判断を、個々の瞬間的判断の当否のみに還元するのではなく、参加者が自己の判断をガイドに委ねるに至った信頼関係の形成過程を踏まえて注意義務の範囲を画定することは、自己責任原則との調和を保ちつつ、判例の流れおよび実務の要請にも適合するものと考えられる。
以上
